Okinawaこばと

(元・こばと保育園)



閉園のご挨拶

斎藤先生のように生涯現役でこの保育を守り続けて行こうと思っていました。ところがコロナの影響なのか一昨年の4月は初めて0歳児の入園がなく、3人の保育士が仕事のない状態。職員を1人、1歳児に移し1歳児の人数を増やして対応。その時これも何か意味あることだと思いいろいろ考え、閉園を決めました。新年度は殆んどの職員が子ども達と一緒にこばとゆがふ保育園に移行していきますので、これからも宜しくお願いします。最後なので少し保育園の歩みを紹介したいと思います。



1978年12月、長姉城間清子は同級生だったひろみさんと一緒に保育園を開園。子ども達を育てて行く中で『明日を拓く子ら』に魅せられ、三女譜久里安子(こばとゆがふ保育園園長)や家族を巻き込み普通の保育から斎藤保育に変えていきました。私は1982年斎藤先生の元で1年間の実習と言う形で学ばせてもらい翌年から、年長児保育をはじめました。坂田交差点の一角で恵まれた環境にあったため、時々ユニークな保育をしていると新聞やマスコミに紹介されていました。1990年この地に移転、35年も年長児保育を続ける事が出来ました。2017年小規模保育事業認可。無認可を閉園。大変だったけれどとても楽しく保育三昧をさせてもらいました。私が44年も保育の仕事を続けられたのは、今はなき両親が贅沢一つもせずに個人でこのこばと保育園を作ってくれた事と、皆さんのおかげです。また違う形で斎藤先生の保育を広げる活動をしたいと思います。


「寝る子は育つ」そんな当たり前のことが難しくなった昨今ではありますが、いい子を育てるには紙オムツやテレビ・スマホをやめて早寝早起きが一番です。子どもの身体を作る元は親が作る毎日の食事と生活リズムです。子どもが泣くのも荒れるのもすべて意味があります。いかに周りにいる大人達がくみ取ってあげられるかです。こどもは、幸せだと満面の笑みで周りにいるすべての人を幸せにしてくれます。沢山の愛と栄養をお願いします。親に愛されている子はとても強く、我が道をしっかり歩んでいきます。



「子どもは手塩にかけて育てなさい」
斎藤先生からいただいた言葉を今度は私から皆さんへ贈ります。すべての方へ感謝を込めて・・・


     47年もの長い間、ご支援ありがとうございました。  2025年3月31日    大城清美











DVDBOOK
『リズム遊びが脳を育む』



*こばと保育園で販売しています!





〈本文23頁より〉

「斎藤先生の保育実践は、諦めないで続けることで、どんなに大変な生まれの子どもでも必ず変わる、希望の保育です。 私が斎藤先生のもとで一年間勉強した1981年から先生が亡くなる2009年までの約28年の間に、「斎藤公子のリズム遊び」は目まぐるしく変化し続けました。それは進化でもあり、また、弱さを持って生まれてくる子ども達が年々増えていく中で、どの子も笑顔にしたいと試行錯誤しながら考え続けた結果だと思っています。年長リズムには華やかで楽しいものがたくさんあります。けれども晩年の先生は、基本のリズムをとても大事にしていました。先生の沖縄での保育講座において、参加者から「リズム遊びはどれくらいやったらいいのですか?」という質問をよく受けました。先生は「私は朝に晩に、リズム遊びをしているんですよ。」と、答えていました。先生が亡くなった今、それを思い出して、私の園でも午前・午後、毎日2回リズム遊びをするようにしています。こばと保育園では親指の蹴りが出ない子も、うんと手をかけ、待って待って、自らの力で足の親指の蹴りが出るまで根気強く保育を続けることで、生まれの弱さを克服してみんな元気に育って行きます。ですから0歳から年長まで一番丁寧に行うのは「ハイハイ運動」なのです。」



DVDの一部を紹介します。






斎藤公子の部屋     

東北大学名誉教授 佐藤幸紀

斎藤公子は自然と保育との関係を重視し、自然史の中で人類の進化を学び、自然を教師として子どもが成長するのを助ける保育をめざしました。その意味から、保育を論じるのに先ず宇宙の始まりから論を起こし、宇宙の発展の中で太陽系・地球の誕生を知り、地球の自然史の中で生命の発生と人類への進化を辿り、人間の歴史の中で文化の変遷を学び、その延長上で保育の理念と方法を考えるという哲学者流の考え方が好きでした。なお母は、2003年に「第7回内藤寿七郎国際育児賞希望大賞・生命の尊厳賞」を受賞しました。

斎藤公子は5千冊を超える書籍やビデオなどの映像を残しました。これらは、保育や教育の他に、歴史、哲学、文学、美術、音楽など広いジャンルにわたり、果ては、生体発生学、古生物学、地球物理学、宇宙物理学などの書にも及んでいます。特に国内外の民話や神話、童話などの書が多くあり、斎藤公子編集の絵本をつくる土台になったと思われます。

教育学者清水寛が“創造の保育”と称した保育を創造・実践するなかで、母がこのように多くの書を読んでいたことに驚きます。確かに母は大変な読書家でした。「保育者は深い教養を身につけ、芸術を理解する感性と科学的な観察力を身につけなければならない」と言い、若い保育者達にもそのことを要求しました。

母が学んだ大量の書や映像その他の資料は斎藤保育を学術的に位置づける上でも、またこれから保育を創り上げ実践していく若い保育者にとっても、貴重な資料になると私は思います。

母が残した書籍・映像その他の遺品が、保育に関わる多くの方々に役立つことを望み、“斎藤公子記念館”を本人が残した深谷の自然のなかに造ることを私の余生の務めに加えたいと思っています。

斎藤公子の部屋 施設長 佐藤幸紀
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管理人 穗盛文子 2024年11月1日

1986年、映画制作の撮影現場でご一緒した、カメラマン山本駿氏との出会いが、私を斎藤公子の元へ導き…今の私があります。山本駿さんがカメラを担当した、映画「アリサ」の試写会に私を連れて行ってくださったのです。スクリーンに映し出される子ども達の姿に衝撃を受けた私は、斎藤公子という人間に惹かれて、まるで磁石に吸い寄せられるかのように、斎藤公子の暮らす埼玉県深谷市に引っ越し「さくらんぼ保育園」でわが子3名を育てていただきました。人間・斎藤公子に惚れ込んだ私は、斎藤公子の保育実践を収録し続け、オランダから斎藤を頼って来日した重度脳障害児トスカちゃんの発達していく様子を映像に収めた映像全集の制作に携わりました。その後、沖縄の姉妹園「こばと保育園」でアプガー指数0点の重度新生児仮死症で生まれたあかりちゃんが卒園するまでを追ったドキュメンタリーなども制作しました。花森安治にぬいぐるみ作家として認められた斎藤から「動物のぬいぐるみ」を伝授してもらったのも幸せなことでした。

私は医師でも保育士でもありませんが、斎藤保育の素晴らしさを20年間ファインダー越しに見つめてきた門前の小僧の立場として、この保育の素晴らしさを一人でも多くの子ども達の為に伝えて行きたいと思います。

このホームページの斎藤公子に関する記事は、私自身が生前斎藤先生から直にお聞きしたことと、ご子息・佐藤幸紀氏の許可を得た記事を掲載しております。

不定期ではありますが写真や動画も掲載していきますので楽しみにしていてください。